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初めましての方へ

初めまして『あきゃいん』と申します。
このサイトに来ていただいてありがとうございます!

シャイニーエイジを作っているあきゃいんがどんな環境で育ったのか、

どうしてこのサイトを作ろうと思ったか、をお話ししたいと思います!

【人間】をキーワードにしてお話ししていきますね^^

人間①お父さん

あきゃいんは 京都市生まれです。

兵庫県の尼崎【ダウンタウンの育った「お笑いの聖地」です】出身の母と、

千葉県出身で関西に仕事に来ていた父が恋愛結婚して、
2年ごとに女の子が3人生まれました。

私は3番目、末っ子です^^

 

お父さんは、いろんな事業を起こして会社を大きくする夢を持っていたようで
ステップアップのために何回も転職をしていました。

そのために私達姉妹の出生地は、3人とも見事に違うんです 笑

 

ある日、会社の送別会で相当の量のお酒を飲んだあと
昔は飲酒運転が禁止されていない時代だったとはいえ、、

お父さんは自分で車を運転してしまいました。

きっと色々な判断力が鈍っていたのでしょう。

前の車を追い抜きたくて対向車線に飛び出し、

向こうから来た大型トラックと正面衝突して、

 

そのまま帰らぬ人となりました。

 

私はあと2ヶ月で4歳になる年で、真ん中の姉は6歳、一番上の姉は8歳でした。

 

自宅にお父さんの遺体が運ばれて来た時、
「わあ〜お父さんの顔、なんでキラキラしてるんやろう、綺麗やなあ」

と思ったこと、そしてその光景だけはいまでも鮮明に覚えています。

今にして思うと、おとうさんの車のフロントガラスの割れた破片が顔に刺さっていたのですが

小さい私にはわからなかったんですね。

 

人間②お母さん

 

お母さんは、お通夜やお葬式でみんなに囲まれているあいだは
気丈にしていて、 まだ、お父さんがどうなったのか分からない私も
いとこや親戚がたくさん来て、
お祭りのようでずっとはしゃいでいました。

1週間くらいたったある夜のこと…

お母さんとおばあちゃんがまだ真新しい
お仏壇の前に座ってヒソヒソと話していました。

まだお母さんに甘えたい時期の私は
側に行きたいんだけれど なんだか

その様子が気になり、ふすまの隙間からそっと見ていると、

突然お母さんが 座布団に顔をうずめて
すごく大きい声で泣き出したのです。

それをみた私は心底びっくりしました。

尋常ではない母の姿を目撃した私は
その後しばらくの間、母の側に行くことができませんでした。

あんなに母が泣いているのを見たことはありません。

後にも先にもこの時だけです。

この瞬間、まだ幼かった私でさえも、
「これからは今までとはちがうんだ…」
ということを肌で感じたのです。

1人の人がいなくなること…

その影響の大きさを、おぼろげながらも感じました。

 

お母さんはそのあと
生命保険屋さん、大衆食堂でのパートなどをしていましたが

手に職をつけないと3人の子どもは育てられない!と思いたって、

美容師だったお母さんのお姉さん(私の叔母さん)からアドバイスを受けながら必死で勉強し、

とある先生の美容室で下働きをしながら念願の美容師の国家資格を取りました。

 

お父さんの夢は不動産経営でした。

そんな夢をお母さんは引き継いで銀行から何とか借金をし、
美容室兼4世帯のアパートを建てました。

 

以来40年、女手一つで3人の子供を育て上げた母は、今は孫に経営を任せて、

親しいお客さん向けに
のんびりと自分の仕事をしています。

お母さんは昔のことを聞くたびに、

「あの時は必死だったから、苦労とか寂しいとか
思う暇もなかったわね。あんたたちに寂しい思いも
させてただろうねぇ。 私が一番辛かったことといえば、
中学生と高校生のお弁当を毎日作るために朝起きることだったわね^^」

といって笑います。

今から思えば、女の子3人なんだから

自分たちでお弁当くらい作ればよかったなぁ^^;

 

人間③姉2人④おばあちゃん

 

そして、もちろん同じようにお父さんを亡くした姉2人。
おとなしかった上のお姉ちゃん、運動神経抜群だった真ん中のお姉ちゃんは

中学生になると揃って女子力高めのヤンキーになりました。

尼崎から 越してきてすぐに認知症になったおじいちゃんと
霊媒師のおばあちゃんもやって来て一緒に住むようになりましたが、

気の強いおばあちゃんと気性の荒い真ん中の姉は
性格が似ているために毎日大げんか。

お互いがお互いを土下座させたり壁を蹴ったり…もう大騒ぎで

そんな真ん中の姉も、今は母性溢れる2児のお母さんをしているのが
まるで別人を見ているような気分です笑。

 

人間⑤おじいちゃん

おじいちゃんはとても優しい性格の人でしたが、

環境の変化についていけなかったのか、越してきて何ヶ月かで
見事なくらいにおばあちゃんのこともお母さんのことも忘れさり,
毎日「どうも初めまして。お名前はなんていわはるんですか」と言っていました。

部屋の端っこに向かっておしっこしたり、
昔よくあった大きな電卓を灰皿と間違えてタバコを消したり。

尼崎に住んでいた時の、近所の友達のところに行ってくるわ!と言っては
スタスタどこまでも元気に歩き、行方不明になっていました。

いつもの仲良しやいつもの風景がなくなるって
ここまで頭が混乱してしまうことなんだなぁ、と

私は車でおじいちゃんを探し回るお母さんについて行きながら、
小学生ながらに思っていました。

 

人間⑥あきゃいんの10代

と、こんな風にキャラの濃すぎる家族に囲まれて、
私は小学校五年生から中学を卒業するまでは
超すみっこぐらし・・・。

 

そんな私も中学3年生からは必死で勉強をして、
今までの環境から何とかして抜け出したい…という一心で京都の高校を受験しました。

そして、めでたく京都の高校へ入学し、まだ間もないある日のこと。

その当時は小さなポケット版だった「チケットぴあ」を何気なく見ていたら、
ある小劇団の公演情報を見つけたんです。

生まれて初めて見る芝居…。

衝撃でした。

自分の中に眠っていた「何か」が呼び覚まされました。

その瞬間、 自分でも別世界を作れる、違う世界を見せられるんだ!!
と、ものすごく可能性を感じ、即日入団!

それ以来、

大道具、小道具、照明、音響、役者、手の空いている人がそれを担当するという
マルチ劇団に、どっぷり浸かる10代を過ごしました。

人間⑦初めての彼氏G

芝居にハマりながらも、このときに初めての彼が
できるのですが、この8歳年上の彼がなんと

 

絶DV男でした。

 

その男【以下G】は、
同じ町内のアパートに一人暮らしをしていて、
地元の友達の紹介で知り合いました。

私から見たら物知りで最初優しかったGは
付き合うようになると

どんどん行動を束縛するようになり、
劇団の練習にもくっついて来て
外で気に入らないことがあると
部屋に入った途端殴る蹴るで、
外に出るときに青アザを隠すのが大変でした。

 

殴られるのって、痛いのは一瞬だからあまり怖くないんですけど
そこまで憎まれてるのか、嫌われてるのか、バカにされてるのか
と思うことが、心の傷になってなかなか治らない。

どんどん自己評価が下がっていきました。

 

お正月に一緒にいたときに顔を殴られたときには
この人の息の根を止めたら楽になるけど
すぐ先に住んでいる母が可哀想だな とか

母に助けを求めたら今度は母や家族に暴力を振るわれたらどうしよう
とか  Gに恐怖しか感じなかった私は
根本的な解決策を考えられませんでした・・・;;

よく大きな事件に発展しなかったもんだと
今になって思います。

 

高校を卒業してからは
照明や公園の遊具を作る樹脂職人をしていましたが

 

やっぱりお芝居がやりたい!と思った私は、母に反対されながらも退職しました。

そして、何回も別れる、別れましたと言っても家の前をうろつくGに

我慢の糸がプッツンと切れて、攻撃する勇気はないので

京都の劇団の小屋に家出しました。

 

完全にプレハブで、お風呂もトイレもない、ただの物置でした。

夜は誰がくるかわからないので、一応鍵はかかりますが
しっかり横になって寝るのが怖くて、よく座ったまま寝ていました。

京都には、 着物の内側に着る「長襦袢」という
着物の染色を機械で染める仕事がたくさんあります。

近くの家兼工場に面接に行き、

小屋からそこへ働きに行きました。

このとき19歳でした。

好きなことができて、生きていけることを最優先にしたいと思っていたのですが

でも・何かこれは違うなと思っていました。

バイトをして小銭を稼いで
家賃のいらないところに住み
芝居を完成させて公演してお金をもらう。

100%好きなことで人に価値提供して、
お金もらえてないやん。片手間やん。

そう思いました。

 

人間⑧あきゃいんの20代

自分のやることでちゃんとお金を稼ぎたい、と思った私は、
お世話になった劇団をやめることにしました。

京都を出て
大阪と東京を行ったり来たりして、自分がやりたいことができる場所を探しました。
自分の劇団を作ったりもしましたが、なかなかうまくはいかない。

悶々としていた頃に、東京で
高校時代の同級生だった今の旦那さんと再会し、

あることがきっかけで、
彼と一緒に外国で暮らすことになったのです。

人間⑨地球の住人

 

日本人の知り合いが1人もいない環境で、5ヶ国の人たちが
集まるアパートに住み始めた私たち。

「天井」「床」「ドア」の単語を教えてもらうところから
生活が始まりました。

アンゴラ、スペイン、チリ、コロンビア、ドイツ出身の
アパートの住人たち。そして訪れてくる友達や親族が
イギリス人、日本人、アメリカ人、デンマーク人、フィンランド人・・・

ここまでいろんな国の人間と接していると、日本人を同郷だからと特別扱いする気もなくなるし、
どこの国というより、その人の人間性や面白さだけを見るようになります。
けれども、自己紹介のつかみのために、
日本にいるときより日本のことを勉強しました笑

人間って、根本的にはみんな同じ感覚を持っていて、
環境によって思わされていることが多いんだなぁと気づいたあきゃいんは、
この時から 日本以外の国の人と話す気おくれが全く無くなりました。

半年ほど生活をしていると、なけなしの貯金がいよいよ底を付いてきました。
日本に帰る潮時か、と2人で話していると、
アパートの住人たちが
「今帰ったってまた元の生活に戻るだけだよ。せっかく地球の裏から
きたんだから、もうちょっと頑張れよ!」と言ってくれました。

とは言っても、どうやって?

それからは2人で、本当に色々なことをやりました。

4年後。

私たちは お金は特になかったけれど
たくさんの人たちがくれた財産と
さっきまでパエリアがのっていた大きなフライパンを持って、27歳で 日本への飛行機に乗りました。

人間⑩エステに集まる女性たち

 

帰国後は、数ヶ月友達のうちにお世話になり、
その間に働くところと住むところを探しました。

お母さんと同じように美容の道に進みたい、
手に職をつけたいと思った私は
大手のエステの会社に就職しました。

27歳というと、エステティシャンの新人の中では
結構おばちゃんの方だったので笑
同僚や店長はほぼ年下でした。

ほとんど女性のみの職場で、派閥もありましたが
そこは外国帰りで自己主張ががぜん強かったあきゃいん。
グループに入らなくても全然平気、
思ったこともストレートに言ってしまうので、
「地雷ふみのあきゃいん」と呼ばれていました^^;

その会社は技術と知識の講習会がほぼ毎週末にあり、
ホスピタリティの教育もかなり厳しく、
売上のノルマもかなり厳しいものでした。
エステの技術、お客様への心遣い、売上への姿勢を
徹底的に叩き込まれました。

私はエステの技術がとても好きで、
ノートに全てのコースのマッサージの手順、ポイント
などを書き直して復習したり、図解にして他の
スタッフの資料も作りました。
そのお客様だけのお手入れの流れや
カウンセリングも研究して、その方の理想の
サイズや体重に近づけるのは楽しかったです。

が、貧乏育ちでお金にメンタルブロックがあったあきゃいんは
なかなかコースをお勧めすることが苦手でした。

そんな自分の殻を外し、自信を持っていいものをお勧めできるようになってからは
お客様からの信用もかえって高くなりましたね。

お金の高い安いではなく、
希望する、理想とするものをどれだけしっかりと
提供し続けられるか、に価値をおくことが全てなのだと
気づけたのも、ここに勤めたおかげだと思っています。

変なこだわりのある私にお店のスタッフはよくついて来てくれました。
スタッフとして3年、チーフを半年、店長を5年勤めました。
メイクの上手すぎる18歳、あとは九州出身の根性のある22歳、
大人っぽくて頑固な23歳のスタッフがいたのですが

なんと5人のスタッフのうちその3人は店長にまで昇格して
他の店舗に巣立っていきました。

店長会議は本来気が重いものなんですが、
月1回彼女たちに会うのが楽しみで足取りも軽かったですね^^

11:あきゃいん30代〜現在

そんなあきゃいんも30代半ば、
何回か流産を経験したため、3回目に妊娠がわかったときは
その翌日に退職届を出しました。
不妊治療のためにチーフに自主降格させてもらっていたので
社長も上司も快く受理してくれました。

妊娠、子育て中には、パソコンやインターネットの勉強を少しづつしました。

専門用語に頭を悩ませながらもネットの世界がわかって来て、
可能性の広がる世界にワクワクしました。

心理ケアの民間資格も取得し、現在は

自宅でお客様の施術をしながら、心のカウンセリングもご希望の方に
行っています。

体も気になるところや不調が悩みになるし、人間関係や家族関係の悩みなど、本当に様々な悩みがあることを皆さんに教えて頂きます。
体と心のつながりの深さにもいつも感嘆し、毎日成長させてもらっています。

ただ、自分だけの視点だけでは、お客様の悩みに寄り添っているかどうかが客観的に見られない、と思いました。

自分の経験も、皆さんのありとあらゆる経験も共有できたら、だれかの悩みが

解決する糸口がみつかるんじゃないか?だれかを勇気づけることができるんじゃないか!と思ったし、
女性ならではのいろいろな知恵や楽しいお話も聞きたい!!と思い、

一念発起、このサイトを作りました。

応援コメント、メッセージはもちろん嬉しいですし、
あなただけの体験談、経験をコメント、お問い合わせより投稿していただけたら
とても嬉しいです!
どうぞ、よろしくお願いいたします!

待ってまーーす♡

長いプロフィール文を読んでいただき、ありがとうございました!!

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